「供養」から見る日本人のメメント・モリ

17/10/23

約30年前、バブル景気で賑わう日本に、ピシャリと「冷や水」を浴びせた一冊のベストセラーがあります。それは、写真家 藤原新也著の『メメント・モリ』という写真集。野犬に貪られている死体や、ガンジス川のほとりで焼かれている遺体など、世界各地に偏在する死の光景を淡々とおさめたそれは、日本の浮かれた時流を断ち切り、20万部を越えるベストセラーとなりました。

世界には様々な「供養」への価値観がありますが、先日「メモリアルアートの大野屋」が行った調査で、20代から70代の男女1000人にアンケートを答えてもらい、現代日本の「供養」への価値観が見えてきました。

メメント・モリ イメージ

日本人の7割が「供養は大切だ」と感じている

調査によると「家族・先祖供養を大切にしているか」という項目で、全体の46%が「大切にしている」と回答しました。「大切に思っているが何をしていいか分からない」という回答も含めると、実に7割もの日本人が「供養は大切だ」と感じていることになります。そして、意外なことに、供養に関心が低いと言われる20代から30代の「若者」と呼ばれる層でも、全体平均とあまり変わらない割合で「供養は大切だ」という調査結果が出ました。

供養の日 リサーチデータ

人形から一本の針まで

人形供養イメージ

そもそも、日本及びアジア圏では供養というと、人間だけではなく、人形供養や針供養といった、一般的には生き物と呼ばれない対象に向けても、その儀式が行われてきました。「すべてのものの中には魂が宿っている」というアニミズム(精霊信仰)を文化背景に背負い、日本人は無機有機に関わらず、あらゆるものに対して魂の存在を認め、供養をしてきた事実があります。

供養の日 リサーチデータ

「供養」という人間特有のコミュニケーションは、生き物かどうかの「対象」の問題ではなく、当人がどう対象と向き合ってきたかという「在り方」、そして、そこから芽生えた愛おしさや大切だと思う気持ちが、文化になったものなのではないでしょうか。

人間は100年後も供養を続けるのか

物質的に豊かになり、技術が進歩しても、今なお避けては通れない「死」や「別れ」。そのテーマに対して人は、心をこめて供養をすることで、故人やモノ、そして自分自身に向き合ってきました。日本人の目が完全に覚める「冷や水」となったバブル崩壊から早30年。そして「冷や水」と呼ぶにはあまりにも大きな衝撃だった「3.11」から早6年。今の日本人の目に、写真集『メメント・モリ』はどう映るのでしょうか。そして、100年後も人間は供養を続けているのでしょうか。ライフスタイルに大きな変化が訪れている現代でも、7割もの日本人が「供養は大切だ」と感じている事実に、私たちはその可能性を見つめていきたいと思います。

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