字を通して、人の多様性が見えてきます。

書との出合いは、人間の多様性との出合い。

僕が3歳の時に、母親から書道を習ったのが、僕と書との出合いです。3歳ですから、書いたのは「ひらがな」だったのですが、当時の僕は「し」という「ひらがな」にすごく感動したんです。何をどう感動したのかと言うと、「し」というひらがなは、たった1本の線でしかないのに、それを上手に書くことがどうして、こんなに難しいんだろう、という感動だったんです。僕にとっては、「し」という字をきれいに書くことがとても難しかったんですね。
小学校1年生の時に、同級生の書く「ひらがな」の「し」がみんな違うんですね。当然と言えば当然ですが、ものすごく美しい「し」を書く子もいれば、癖のないスタンダードな「し」だったり、とても雑な「し」だったり。その発見は、"人間って、なんで同じ字がひとつもないんだろう"という感動につながり、同時に、人間の多様性というものに気づいたきっかけでもありました。ですから、僕にとっては、常に「字」と「人間の個性」がリンクするわけです。

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僕にとって、書は、無限に遊べる宝箱です。

書には、唯一絶対の美しい字というものはないと思います。たとえば、「し」を例にすると、間抜けな「し」があったり、東北美人の「し」があったり、あるいはスレンダーな「し」があったりと、いろいろなキャラクターを生み出すことができます。決まった形の美しい字があるわけでなく、その時々で、いいなと思う「し」も変わってくる。その多様性が書の面白さでもあるんです。人それぞれ書く字が違う。そうすると、字を通して人の多様性が見えてきます。ですから、人に興味を持ってきたことが、今の自分の書や言葉や作品に、全部つながってくるわけです。

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熱い思いが込められた書に、人は感動する。

震災によって、人々が不安な気持ちを抱えている時に、「大丈夫」という言葉を書にしたことがあります。それをインターネットで紹介したら、あっという間に多くの共感を得ることができました。みんな「大丈夫」という言葉をかけて欲しかったんだと思います。書にはそういう力があると思っています。
上手に書くとか、きれいに書くとかではなく、伝えたいメッセージを、その書に込められるかどうかが重要なんです。100パーセント純粋に、「大丈夫だよ」という湧き出た熱い思いが書になった時、人は感動してくれるのです。

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何かが欠けた人間同士をつなぐのが、
絆だと僕は思います。

半人前の人間同士がつながって絆になる。

3.11の大震災の翌日に、ライトを使って絆という字を書いたことがあります。暗闇の中で、カメラのシャッタースピードを開放にして、懐中電灯を動かして、「絆」という字を書きました。実は震災以前に出版社の方から、作品集のタイトルを「絆」にしてはどうだろうという提案をいただいたことがあって、その時は正直、「絆」という言葉があまり好きではなかったんです。なんか熱すぎて、重すぎる気がしていたんですね。でも、その頃から心のどこかで「絆」というワードを意識するようになっていました。「絆」って、心の問題なのに、なぜ「字」にすると、心がないのだろうと疑問に思ったりしていました。なぜ、糸偏に半分なのだろうと。
そんなことを考えていたら、ふとひらめいたことがありました。人間なんてもともと半人前で、一人ひとりは小さい存在で、ジグソーパズルで言えば、どこかが欠けているけれども、それが糸という、鋼でもピアノ線でもなくて心もとない、やわらかい材質の「糸」で結ばれることで、ひとりの人間として完成したり、ひとつの大きな力になっていったりするのかなと。そう考えると、「絆」というものが実は嫌なものではなくて、自分を補ってくれるものだったんだと気づきました。子供の頃に感じた多様性にもつながるのですが、人間は、いろいろなパズルがみんな欠けていて頼りない状態のようなもので、欠けている部分も人によってみんな違う。それが多様性です。そして、何かが欠けているからいろいろ人とつながれて。つながるけれども、ピースの形はみんな違うわけです。だからこそ人と人がつながって、それが絆という力にもなるし、心が満たされるんだな、と。欠けていていいんだ、完璧じゃなくていいんだ、がんばらなくてもいいんだってところにも、僕の中でつながっていったんです。自分ががんばっているというよりも、みんなで足りない部分を補い合える、だからこそ自分ができることがある。
人間というカタチの違うピースが結びついてできるのが、「絆」なのだと、今では思っています。

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物理的なしがらみがなくなったからこそ、
強く感じられる絆もあると思います。

絆にもいろいろあって、生きている人同士の絆だけではないと思います。僕は書道教室で多くの生徒さんと接していますが、生徒さんの中に身近な人を亡くされたという方がいらっしゃって、「(亡くなった方とは)物理的なしがらみがとれて、むしろ絆を強く感じる」とおっしゃっていた方がいます。そのとおりだと僕も思います。人の死というものはとても哀しい出来事ですし、喪失感もあるのですが、時間の経過とともに、亡くなった方との絆を強く意識できるシーンがあったりして、哀しみや喪失感をその絆が埋めてくれるということが往々にしてあるのではないでしょうか。そうした絆も、とても大切なものだと思います。

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亡くなった方との絆となる「書」を墓石に

メモリアルアートの大野屋さんとはご縁があり、墓石に刻むことのできる「書」を書かせていただきました。私は、「お墓」とは「対話の場」であると考えます。ご先祖やお墓に眠る方々への感謝の気持ちや、身の上の相談や報告などを肩肘張らずに話せて、感じあえるのが「お墓」です。「書」を通して、お墓に眠る大切な方々との対話をより深めるものになればと、心から願っています。

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Interview

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    武田 双雲(たけだ そううん)
    書道家。1975年熊本県生まれ。3歳より書道家である母・武田双葉に師事し、書の道を歩む。大学卒業後は民間企業に就職するも、約3年間の勤務を経て、書道家として独立。音楽家、彫刻家など様々なアーティストとのコラボレーションや斬新な個展など、独自の創作活動で注目を集める。

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私たちメモリアルアートの大野屋は、創業70周年の節目に武田双雲氏から一つの「書」を頂きました。それは「志」。常にお客様の立場にたち、「お客様の想いをかたちに」する為に、常により良いサービスを追求し続けるという、愛、信、義を、当社のビジョンとして頂いた言葉です。 「双書」は、武田双雲氏とメモリアルアートの大野屋の想いがひとつになって生まれた今までにないサービスと思っております。これからもお客様の満足に応え続ける為、たゆまぬ努力をしてまいります。

「双書」

「双書」とは、メモリアルアートの大野屋だけの墓石彫刻サービスです。武田双雲氏直筆の「書」を墓石に彫刻いたします。
お選びいただける書は、2014年に6種加わり全部で16種。その全てをご注文の多い書から順番にランキング形式でご紹介いたします。

既存双書ランキング(既存10書・2013年までのご注文)

  • 1位
  • 和
  • 3位
  • 絆
  • 5位
  • やすらぎ
  • 7位
  • 緒
  • 9位
  • 流行水雲
  • 2位
  • 想
  • 4位
  • ありがとう
  • 6位
  • 感謝
  • 8位
  • 愛
  • 10位
  • 希望

新作双書ランキング(2014年追加の6書・2014年10月までのご注文)

  • 1位
  • 心
  • 3位
  • やすらかた
  • 3位
  • 悠久
  • 2位
  • 慈
  • 3位
  • 夢
  • 6位
  • 永遠

→「双書」の詳細はこちら

※プロフィールおよびインタビュー内容は2013年3月(WILL vol.1発行)時点のものです

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